
「戸隠地質化石博物館の日記」に6月末頃に死んだアカショウビンの記事が出ていた。
記事はこちら
(上の写真は別のアカショウビンです)
カメラマンの砲列にノイローゼになって死んだわけではないだろうし、場所もおそらくカメラマンで賑わう場所ではないようだ。(追記 公民館のガラスに体当たりしたらしい)
カメラマンは兎に角悪者にされるが、天然自然に生きるアカショウビンの敵はもっと別のところにあるはずだ。もちろんエゴ丸出しの撮影は避けるべきであるが、目の敵のようにカメラマンを非難することも控えるべきである。
アカショウビンは貴重な鳥だ。けれども彼らはまた場合によっては貴重な品種の蛙を補食しているかもしれない。遠方から少年のような気持ちの高鳴りと共にやってくる年配のカメラマンもまた貴重な人生を生きているひとりでもある。
誰がそれを戒められるというのであろうか。
アカショウビンに胸躍らせ撮影するカメラマンに目くじら立てて声高に非難する狂信的な自称自然保護崇拝者を時々ネットで見かけるが、こちらの方が少し異常に思えることも多々ある。気高い理屈を説く割には暴言が多い。時にはその人の人間性を疑いたくなるようなものまである。
ましてやマスコミによる批判など実に馬鹿げている。
彼らの下劣な取材はご存知のとおりである。
死んだアカショウビンの記事を見ておそらく誰よりも悲しむのはアカショウビンの周りに砲列をつくったカメラマン達でもあろう。
それは撮影の対象がひとつ減ったというものでは絶対にないに違いない。
おそらくあれほどまでに自分達を胸高鳴らせてくれたアカショウビンに対する深い哀悼に他ならないはずである。
きびしい大自然を生き抜くアカショウビンの目にカメラマンの砲列がどのように映っているのであろうか?
案外取るに足らない下界の生き物に映っているように私には思える。
毎年分かりやすい所に来てくれる幻の鳥に深く感謝しつつも、
最低限のマナーを守って貴重な鳥との出会いを楽しみたいものである。
















