一昔前は大抵の家には柱時計があったものである。
1時間ごとにボーンボーンボーンと律儀に鳴るあれである。
今ではずっとシンプルなものに様代わりしてしまったのではなかろうか。
そんな壁掛け時計をふっと見てみると、
今まで止まっていた秒針があわてて動き出したように見えた。
「ははあーん、さては今までサボっていたに違いない」
そんなことを思いながら今度はじっと針を追ってみる。
刻々と時間が刻まれていく。
間違いなく針は正確に動いている。
暫くして、
知らん顔をしてよそ見をする振りをして
いきなり時計の針を見たら、主人の見てないことを良い事にちゃっかり3秒程サボっていた秒針があわてて3秒分一度に動いたように見えた。
ただ残念なのは秒針の犯罪を現行犯で捕らえられなかった事である。
つまり3秒分まとめて動いたものの目にしたのは最後の1秒目のところだった訳である。
そんな風な事をしながらも間違いなく時間は過ぎていく。
時間をどう使おうと小生の勝手である。
誰に文句を言われる筋合いもない。
とはいえ、時間は公平に永遠と流れるものではない。
自分に与えられた時間は限りあるものである。
実は寸秒をも惜しまなくてはならない。
けれども時々時間の犯す犯罪を盗み見たくなるのも人情である。
ところが、どういう訳かやってはならない事をやってしまっているようで気持ちが悪い。
時の犯罪を解明したり、鏡映しの世界に入り込むことはやってはならないことのような気がするのである。
