2011年9月アーカイブ

行き倒れを見て

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ikebukuro.jpg先日池袋の駅からサンシャインに向かって歩いていたら人が倒れていた。
50台後半から60位の男で、これはホームレスかもしれないなと確信した。
ホームレスには見えるがまだ新入りのようで、黒光りのする筋金入りの連中とはまた様子が違う。
ボロは着ているがまだ当たり前の生活に未練を残したままでいるようでもある。
およそ、その未練が祟ったのかもしれない。

デパートのショーウインドウの前でひっくり返って痙攣している。
こんな痙攣のしかたは全く漫画かドリフターズのコントそのものである。
本当にああなるものだなと感心したほどだ。

実は目撃した時はもうすでに男のところに巡査がやってきており、
お前は一体何者かとしきりに尋ねていた。
お前は一体誰だと言われてみても、痙攣するほどである。
私は実は、かくかくしかじか、こういう者でどういう訳か気分が悪くなってこうやって震えているのだ。
などと威張って言えるものでもあるまい。
なんとつまらん愚問を投げかけているのであろうか。
そんな暇があるなら例の高電圧発生装置でも取り出してきて
ニューハートの医者のごとく、周囲の人に「離れて」と言いながら
ビリビリやった方が余っ程いいに決まっている。
そう思いながらその場を立ち去った。

立ち去ったもののその男の痙攣する姿がどうも残ってしまって後始末のしようがない。
少し休もうと思って近くのコーヒーショップに逃げ込むことにした。

アイスクリームを頼むと、愛想のない店員が面倒くさそうに水を置いていった。
暫くするとガラスの器に丸いヤッコ豆腐ほどもあるアイスクリームが出された。
そのてっぺんにはレーズンが無愛想におかれている。
蠅でも留まっているのかと思わせる飾りである。
それでも仕方なく食べてみると案外美味いものだった。
そして半分も食べると流石に頭が冴えたきた。
少し気分もよくなったところで冷静に考えてみた。

先ほどの巡査も実はもうこれは駄目だなと判断したに違いない。
そうして、せめてその亡骸を引き取る相手の糸口を見つけたかったのかもしれない。
そう考えると随分手際の良い対応にも思えた。
きっと東京ではこんなことが当たり前に起こっているに違いない。
そんな風だから別段に巡査が優れている訳でも劣っている訳でもないのである。
いつもそうしているから、そうしていたのかもしれない。

一昔前だったらこういう光景を見たなら、ああは成りたくないものだと思ったに違いない。
けれども、今はそう簡単に割り切れない。
数ヶ月後には路頭に迷って街中を彷徨いながら
同じように倒れているかもしれない。

デパートの前に来たら突然頭の中がぐるぐる回り出して倒れてしまう。
そうして気づいたらやっぱり巡査が居てお前は一体何者だと尋ねられているかもしれない。
そうこうしている中にとうとう死んでしまう。
そんなことがあっても全く不思議ではない。

街中で誰に看取られるわけでもなくボロのようになって死ぬ恐怖。

しかし、死というものに方法などない。
死ぬ時はいつでも孤独に死ななければならない。
街中で巡査にお前は何者かと言われながら死ぬのも、
大勢の親族や仲間に囲まれて死ぬのも同じである。
あるいはかえって病苦に苦しみ続けて死ぬより余っ程気楽かもしれない。

人生の目的とか難しい顔をして考えてみてもどうせ碌なアイデアも出てきやしない。

我々の人生の行き着く先は死である。
母親の子宮からポンと生まれ落ちたときから、死というゴールに向かって歩き続けているだけである。

どんなに早く走ってみても、どんなに逃げ惑ってみても、どんなに学問をしても
どんなに人を欺いても、そしてどんなに立派なことをしてみせても効果はない。

一歩一歩物理学の法則に従って死に近づいているだけである。

ゴールが死なら死ぬまでの間にせいぜいやりたいことをやっておくことであろう。

あるいは天然自然の法則が考え出した最も優れた延命方法、
自分の遺伝子を残すことである。
せめて遺伝子だけでも生き伸びさせるためにも子づくりは案外大切なことなのかもしれない。

色々難しいことをいうよりも、体の指示に従って勝手に異性に惚れて、
また勝手に体の指示に従って肉体関係を持つ。
そうすると勝手に子どもが出来てくるようになっている。
特段学問など必要もない。
これくらいのことなら学校で鼻糞をほじくっていてもなんとかなるだろう。
子どもができればなんだか可愛くなるだろうし、
怠け者の庄助さんだってその子のために働く気分にもなるかもしれない。

子作りするだけで、遺伝子を生き伸びさせることができるのであるから、
本能に従っているのが案外気楽なようである。
そうして、これが一番幸せで全うな生き方なのかもしれない。

sy_040.jpg
ある知り合いの婆さんからケーキを貰ってきた。
チョコレートで包まれたもので天辺に気取った砂糖菓子がひとつ清まして置いてある。
銀紙に丁寧に包まれたチョコレートケーキは実に気品に満ちている。
しかし、困ったのはたったの一つしかないという事だ。

なにしろアライグマもケーキには目がない。
一体全体どうしたものかと思案したあげくに、ここはひとつゲーム理論に従って
半分づつ切り分けて戴くことにした。

切り分けるのはアライグマが担当である。
選ぶのは自分の役目である。
ゲームの理論に従えば自分は少しでも大きい方を取ろうとする。
そうなるとアライグマの取り分は減る訳だから奴は出来るだけ等分に切り分けるように努力する。
結果ケーキは限りなく等分に分けられ仲違いなど起こらぬとい大層な理屈である。

ところがアライグマはどういう了見かなんの考えもなく適当に切ってみせる。
しかも大きい方に砂糖菓子が清ましている。

こうなったら大きい方を取りたくなるのが人情というものである。
すかさず大きいケーキを奪い取ったらアライグマは散々文句を言い始めた。

大体、あなたは思いやりというものが微塵も持たない冷酷な人間だとか、
いつもぼんやりとして鼻毛ばかり抜くものだから掃除が大変だとか、
こんなに貧乏をさせられても耐えてみせているのにだとか言う。
そして、仕舞いには涙をポロポロ流し始める。

そうまでチョコレートケーキに未練を持たれては適わない。
仕方ないので砂糖菓子をツイと取り上げて下のケーキを入れ替えてやった。
これで文句あるまいと威張ると、
その砂糖菓子が欲しいのだとやっぱり泣く。

とうとう砂糖菓子まで取られてしまった。

一体全体何がゲーム理論だ。
まんまとしてやられたではないか。
こんなことだからいつまでたっても人類は戦争を止められないのだと心底思った次第である。